鼻歌なんか交えながら、一人で台所を占拠するのは嫌いじゃなかった
大きいテーブルの上に、折り目の全く無い新品のレシピ本を広げて、それを見ながら手探り状態で作業を続ける
初心者でも安心の文字に騙されたと気付くのに、時間は必要なかった
「ー。出来たかーって…っぶねえな!」
「立入禁止だって言ったでしょ」
許可も無くズカズカと人の聖域に踏み込んでくる馬鹿王子の顔面にフライパンをクリティカルヒットさせたかと思えば、寸前のところで避けられた
「あんなに可愛かったが野蛮な弟の所為でこんなじゃじゃ馬になってるとはな…」
「ベルのこと悪く言わないで」
私がベルの名前を口にするだけで空気が重くなるのは分かったけど、そんなこと気にしない
悪いのは誕生日に突然やって来てケーキ作れだの祝えだの言って人を強制的にミルフィオーレの基地に連れてきた目の前の王子様なんだから
「せっかくオレの誕生日祝わせてやろうって言ってんのに生意気」
「じゃあ、ヴァリアーで祝えば良かったじゃん」
「…そしたらベルばっかり構うだろ」
子供みたいに口を尖らせるジルに背を向けて再び作業を開始する
そんな私の様子を不貞腐れながらも後ろから覗き込んでくる
ふと、置いてあったレシピ本に気付いて、興味も無さそうにページをパラパラと捲っていく
「初心者って…お前もしかして料理できねーの?」
「今、練習してる最中なの!少しは出来るようになってるし。ベルだって褒めてくれるし」
ベルの名前を出せば、ジルが不機嫌になることは分かっていたけど、やっと覚えたホットケーキをベルに作ってあげた時のことを思い出して、顔が思い切り緩んでしまった
「…ってベルのことになると本当に嬉しそうだな」
「…そ、そんなことは…」
「あー…やっぱ今の無し」
急に声のトーンが落ちたジルに声を掛けようと後ろを振り向けば、既に姿は無かった
部屋に響き渡るドアの閉まる音に少し寂しさを感じながら、目の前にあるレシピ本と睨み合いを再開した
「ジルー出来たよーって…寝てるし」
苦労して完成させたのだから、思い切り自慢してやろうと思って探し当てた自室に入ってみれば、ソファで静かに寝息を立てているジル
思わず顔を覗き込んでみたけど、相変わらず髪が邪魔で表情は分からなかった
「ベルなら髪いじっても怒らないんだけど…ジルも平気かな…」
そっと髪に触れようとした瞬間に、強く腕を引かれた
しまった…と思った時には目の前に楽しそうに笑っているジルの顔があった
「寝込み襲うとか良い趣味してんな」
「勝手に引っ張ったクセに何言って…」
反抗しようとすれば思い切り抱き締められて思わず声が出なくなる
縋るように抱き付かれて聞こえるのは、静かな呼吸と目の前にいる王子様の心音だけ
「オレじゃダメなのかよ…」
ぽつりと呟いた弱々しい声に思わず胸が締め付けられた
反射的に目の前にある金糸の髪を撫でてみれば、甘えるように擦り寄ってきた
「…のくせに子供扱いしてんじゃねーよ」
「はいはい、ごめんね」
私の適当な相槌に不満そうに唸る声が聞こえたけど、また頭を撫でてみれば無言で擦り寄ってきたので
まるで子猫みたいなんて失礼なことをぼんやりと考えてみたり
「せっかく作ったんだから食べてよ」
「んー…後でな」
きっと今の状況から抜け出す頃には料理はすっかり冷めているかもしれないけど
こんなに甘えたがりなジルを見るのは初めてだったから
もう少しだけこのままでいたいなんて、先刻と正反対のことを考えながら再度その頭を撫でてあげた
(、これ冷たい)
(王子様が離れてくれなかったからでしょ)
(…んなことねーし)
(素直じゃないところもベルにそっくり)
(やっぱりアイツ殺す)